レッドスピネル(Red Spinel)

その赤色があまりに美しかったため、レッドスピネルは長い間ルビーと誤認された長い歴史があります。
永らく人の目を欺けるほどに、愛すべき宝石なのです。
その愛すべき第一の特長は、掘り出された時からナチュラルな赤色を誇り、端正な正八面体の原形を彷彿させる結晶美をも演じてくれること。
花にたとえれば、普段から薔薇やランの花に見慣れた人でも、あるとき野山で偶然出会った名もない可憐な花、――その姿、色合いの美しさにしばし見とれてしまう・・・・・。
そんな感動から、あなたとレッドスピネルの出会いも始まるかも知れません。

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レッドスピネルのジェムメッセージ

ルビーと誤認されてきた理由は、見た目だけでなく科学的にも揃っていたのです。
まず鉱物そのものが、ルビーを構成する酸化アルミニウムという鉱物に、ただマグネシウムが加わっただけのものがスピネルという訳です。
コランダム同様に純粋なスピネルも無色透明で、そこにクロムが混入して赤紫色を演じ、しかも強い蛍光性を併せて持つ点まで、ルビーとまったく同じだったのです。

そしてルビーとスピネルは、産地と産状もほぼ共有していることが、誤認を決定付けました。
ナチュラル・ルビーの聖地ミャンマー・モゴク鉱山の採掘現場では、ルビーと思しき石の5つに1つは実にレッドスピネルです。
スリランカ等の主要コランダム産地が、そのままスピネル産地でもあるように、両者は因縁の仲なのです。

レッドスピネルは、しかし、ルビーとは似て非なる魅力を湛える宝石です。
大半のルビーが加熱という加工を経て美しくなっている一方、レッドスピネルの美しさは正真正銘のナチュラル。
キズの主因となる内包物も極めて少なく、鉱物耐久性は申し分ありません。
特にクロム含有率の多い石の赤色は、エレクトリックレッドというに相応しく見るも鮮やかに澄み切って色むらがない。
――そしてこれらのことをこの石の宝石価値として気付いている人の数が、何故か世界的にもまだまだ少ない!・・・・・。”極上のレッドスピネルやピンクスピネルは究極の掘り出しもの”と、石にうるさい玄人(くろうと)筋に密かに支持される所以です。

レッドスピネルのマザーランド(代表的産地)

上述したように、ミャンマー・モゴク鉱山からルビーと共に掘り出されました。
それが”初物”と云えるかどうかは定かでありません。
なぜなら、スピネルとルビーは別物、と確定したのが近世に入ってからで、仮にそれ以前にどこかで見つかっていたとしても、誰もスピネルとは特定できなかったからです。
スピネルの和名が「尖晶石」と云われる如く、この石はかなり鋭利な正八面体で産出します。
殊にモゴク産のレッドスピネルは、シャープなエッジの四角錐を上下に張り合わせたような、見事な正八面体結晶で私たちの前に出現します。
これを「エンジェルカット・スピネル」と云いますが、これこそ研磨という人的加工すら施さない、まさに極め付けのナチュラルジェムと云えます。

歴史の中のスピネル

スピネルとルビーは別鉱物であることが確定したのは、前項で近世と書きましたが、正確には16世紀の1546年、アグリコーラAgricolaというドイツの鉱物学者が発表し、自ら「スピネル」と命名しました。
意外にもルネサンス初期、既にこの宝石は鉱物学的に”認知”されていたのです。
にも拘らず人々は、何故かその後も”誤認”し続けました。
14世紀の有名な「黒太子のルビー」(詳細は次項)をスピネルと見破ったのは科学者ロメド・リールですが、それは大革命前夜の1783年でした。
つまり、その140カラット(38g)の”隠れスピネル”はまさに国宝級宝石として諸国を巡りながら、少なくともアグリコーラの命名からロメド・リールのスピネル宣言までの約240年、誰一人として”真実”を暴かなかったのです。
帝国の何代もの王たちがルビーと信じ切っているその特大宝石の真実を、平然と告げられる勇気ある学者など居なかったのでしょうか。
それとも、ただ鑑別する機会がなかっただけでしょうか。

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レッドスピネルのトリビアから

■保存版/「黒太子のルビー」の王朝遍歴 ――ルビーと見なされて来たレッドスピネルの輝かしい遍歴を、史実に照らして一緒に辿ってみましょう。

14世紀初頭 グラナダ王国の王子アブ・サイドが、このルビーという触れ込みの赤色石の史実上の最初の所有者。
同上 隣国カスティリア王ペドロ(残酷王の異名)、アブ・サイドから赤色石を強奪。
1367年 兄弟の謀反で窮地に立ったペドロは、英国プランタジネット王朝第7代王エドワード3世の長男エドワード皇太子(黒太子)に助けられ、代償に赤色石を差し出す。エドワード黒太子は、1338年に勃発した英仏百年戦争で数々の武勲を立て、黒装束の皇太子が仏軍から”ノワール(黒)”と恐れられたことから、後世になってこのニックネームが付いたらしい。以後この赤色石は英国歴代の王たちに継承されることになる。
1415年 ヘンリー4世より始まったランカスター王朝期に、続行中の英仏戦アゼンクールの戦いで、ヘンリー5世着用の兜が仏軍に叩き割られるが、守護石としてその石を付けていた為か、命は無事だった。
1455年 英仏百年戦争終結直後、王位継承権を巡ってランカスター家とヨーク家の間で起きた内乱・薔薇戦争で、ヨーク公リチャードが赤色石を鎧に着用(両家とも家紋が薔薇である。ヨーク家が勝利してエドワード4世即位(ヨーク王朝)。
1485年~ ヘンリー7世よりチューダー王朝スタート。次のヘンリー8世、王妃を離縁して侍女のアン・ブーリンをめとり、それが元でローマ教会から離脱、イギリス国教会樹立(1534)。赤色石継承。
1546年 ドイツの学者アグリコーラ、一般論として鉱物スピネルをコランダムの異種と認定。
1603年~ ジェームス1世よりスチュアート王朝スタート。この時点で王冠に赤色石が装着される。
1642年~ 清教徒革命に続く君主政廃止で、同王冠は溶解され、赤色石は一時共和政権(クロムウェル)の所有下に。
1660年 君主政が復活(王政復古)、チャールズ2世、赤色石を奇跡的に王室に取り戻す。
1783年 ハノーバー王朝第3代王ジョージ3世在位中、フランスのロメド・リールによって赤色石がルビーでなくスピネルと宣言(上述)。
1821年 ジョージ4世戴冠式のために、大英帝国王冠The Imperial State Crownが制作される。問題の赤色石は、この時点でスピネルとして堂々と同王冠の、まさに中央部マルタ十字形上に留められた。尚、この時王冠の頭回り部分にも別の赤色石が5ピースが留められたが、それらはみな“本物”のルビーであった
1837年 ヴィクトリア女王即位、在位中に世界初のロンドン万博(1851)。女王とこのスピネルの因縁話は伝えられていない。
1907年 南アで発見された世界最大の「カリナン・ダイヤモンド」が、トランスバール(南ア)政府からエドワード7世に贈られる。同王はそれをアッシャー社に分割・研磨させて、2番目に大きい「カリナンII」(317.40Ct)を同王冠のスピネルの真下に装着した。
現在 ロンドン塔・クラウンジュエル館に所蔵、一般公開中。

■スピネルは前稿「ガーネット一族」同様、実に21の鉱物種を従える”大家族”の総称名です。惜しむらくは、ガーネット・グループほど宝石種と云える多彩な”顔”はなく、宝石種のスピネルはマグネシウム系のレッド、ピンク、ブルーの石(「マグネシアスピネル」)に限られます。
特にピンクスピネルは、本稿のレッドスピネルに勝るとも劣らない独特のオレンジッシュピンクのラズベリーカラーで、最近のスピネル人気を一層高めています。

博物館で出会える有名レッドスピネル

「黒太子のルビー(スピネル)」 (140カラット、大英帝国往還のセンターストーン)  ロンドン塔(ロンドン, 英国)

レッドスピネル履歴書

鉱物名

レッドスピネルRed Spinel

和名

尖晶石 (せんしょうせき)

石名由来

「棘」を意味するラテン語Spinaより

組成

マグネシウムとアルミニウムの酸化鉱物MgAl2O4 + 遷移元素 クロムCr

発見地

ミャンマー(モゴク)

硬度

8

比重

3.60

屈折率

1.718(単屈折)

分散度

0.020

結晶

等軸晶系

結婚石

22年記念石

曜日石

日曜

石言葉

「エンデバー(努力)」 「デベロップ(発展)」